倉西裕子

法隆寺の夢殿には、救世観音像と称されてきた仏像が安置されています。救世観音像は、明治17年、米国人のアーネスト・フェノロサ、岡倉天心と加納鉄斎によって開扉されるまで、長い布によって包まれ、封印という言葉にふさわしい状況にあった謎の仏像です。 では、なぜ、謎であるのか。それは、『日本書紀』や『古事記』、そして、法隆寺関連史料などのいかなる史料も、この仏像が、いつ、誰によって造仏されたのか、モデルがあったとしたならば、それは、いったい誰であったのか、そして、なぜ、秘仏化・封印されるに至ったのか、その経緯を黙して語らないからです。 救世観音像は、法隆寺の東院伽藍の本尊として、1千年以上にわたって、たいせつに祭られてきたにもかかわらず、あまりに謎多き仏像なのです。